学校ブログ

お祝い 涙 涙の卒業式でした。

 75名の6年生が小野小学校を巣立っていきました。

 何人もの子どもが泣き出して、会場全体も涙に包まれるすてきな卒業式でした。

 

 

令和五年度  卒業証書授与式 「はげましのことば・・・校長より」

 

春のあたたかな陽ざしがふりそそぐ今日、とうとう別れの日がやってきてしまいました。

 

本日、小野町長 村上てるまさ 様をはじめ、たくさんのご来賓の方々のご臨席のもと、卒業式を挙行できますことに感謝申し上げます。小野小学校創立以来、町当局の皆様には、教育環境の充実だけではなく、感染症対策や給食費の助成など、多岐にわたる物心両面のご支援をいただきましたことに感謝申し上げます。

 

次に、卒業生の保護者の皆さまに御礼申し上げます。

本日までの六年間におよぶ皆様のご協力、ご支援をいただきまして、本当にありがとうございました。

この三月になり、震度三程度でしたが夜中に何度も地震が起こり、あの東日本大震災を思い出しました。本校のある女性の先生は、妊娠をしていて、もうすぐお産のための休暇に入るという時にあの日を迎えたそうです。大きなおなかの中にいる自分の子どもさんと 学校の教え子たちの両方を守らなければならず、本当に苦しい思いをしたという話を聞いたことがあります。あの地震の後、みなさまのお心が不安にさいなまれている日々の中で、この子どもたちは誕生しました。心配なこともたくさんあったと思いますが、逆に子どもたちの誕生は希望につながったのではないでしょうか。

そして、今では、もう抱っこも、高い高いも、いないいないバーも喜ばない年齢になり、大人への階段を上り始めました。子どもたちの確かな成長は保護者の方の愛情のおかげです。今日まで、惜しみなく愛情を注いでくださり、ありがとうございました。

本日は、本当におめでとうございます。

 

 さて、六年生のみなさん、私は、卒業証書を渡しながら、一人一人の名前に込められたご家族の思いを想像していました。そして、これからもずっとずっといつまでもしあわせな人生をお過ごしください、と願いを込めながら証書を渡しました。

すると、どうでしょう。みなさん、一人一人が私の顔を見て、しっかりと目をあわせてくれたではないですか。そして、その瞬間、みんなの瞳が、きらりと輝いたのです。それは、小野小学校の卒業生らしい、まじめで、すなおな表情でした。ですから、私は、また、心の中で、「しあわせになあれ」と願いました。

 

でも、ここで考えたいことがあります。

それは、しあわせって何でしょうか、ということです。

これからの中学校生活で、友だちとうまくいかなかったり、テストの点数が低かったりしたら、それは ふしあわせ なのでしょうか。

実は、ラッキーなこと、うれしいこと、楽しいことだけが「しあわせ」ではありません。

 

昔は、しあわせという言葉には、「めぐりあわせ」という意味がありました。つまり、何かと何か、2つのことがめぐりあうことを「し合わす」といいました。たとえば、大きな困難に会っても、それにめぐりあった自分がなんとか前向きにしようとすれば、それは、しあわせなのです。ですから、いろいろな ひと もの こと とのめぐりあわせの中で、あなた方自身がどんな時でも よりよく生きようと自分を導くことをしあわせといいます。

 

歌手の「中島みゆき」という人の歌に「糸」という曲がありますが、その中に、

「縦の糸はあなた  横の糸は私  

 逢うべき糸に  出会えることを  

 人は仕合わせと呼びます」

という歌詞がありますが、人間関係で言えば、二本の糸がお互いに相手を大切にしあって生きていくことが、しあわせなのです。

 

 人生に苦しみや悲しみは必ずやってきます。

 

しかし、あなた方なら、この先にどんなことがあってもそれを乗り越え、たくさんのしあわせを味わうことができるはずです。

 

みなさんの今日の瞳が輝いていたことと同じように、みなさんの未来は希望に満ち溢れています。

 

私事となりますが、この三月で小学校教員を退職することとしました。私にとっての最後の卒業証書授与が、みなさんのようにすてきな子どもたちで、その担任の先生方が、重川先生、力樹先生、郡司先生、幸江先生、美智子先生で、そして、この小野小学校でお仕事をさせていただき、私は、とてもしあわせでした。ありがとうございました。

 

 

最後にご参会のすべてのみなさまのおしあわせをお祈りし、はげましのことばにかえさせていただきます。

 

ご卒業、本当におめでとうございます。

 

   令和6年3月22日

 

           小野町立小野小学校長 小荒井新佐